北口本宮冨士浅間神社は、世界遺産の構成資産にもなっている富士五湖観光のおすすめスポットです。
なお、北口本宮冨士浅間神社の正式名称が、ウ冠の『富士』ではなく、ワ冠の『冨士』となっています。
これは、富士山頂の神域に人が足を踏み入れることを戒めたものだという説がありますが、真相は定かではありません。
場所
国道138号線沿いの、河口湖と山中湖を結ぶ中間地点に位置します。
【地図出典:© OpenStreetMap contributors】
河口湖から山中湖方面に向かう場合には道路の右側、山中湖から河口湖方面に向かう場合は、道路の左側に神社が見えます。
駐車場
駐車場は、神社周辺に分散されて配置されています。
【地図出典:© OpenStreetMap contributors】
分かりやすいのは国道138号線沿いの、神社の向かいにある第1駐車場です。
【第1駐車場】
第3駐車場も、国道から神社の脇に入ってすぐのところです。
【第3駐車場】
この神社の魅力は参道にありますので、可能であれば第1駐車場または、参道入口横の第3駐車場に車を停めて、参道の起点から歩くことをおすすめします。
参道に入った瞬間に空気が変わりますので、是非体感してください。
世界遺産『富士山』の構成資産
世界遺産『富士山』の正確な登録名称は、
『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』
であり、その構成資産は次のように分類されています。
- 信仰の対象となった山域、登山道。
- 富士山信仰に由来する、山麓の神社や「御師(おし)」と呼ばれる人々の住宅。
- 富士山信の巡礼や修業を行った溶岩樹型、湖、湧水地、滝、海浜など。
- 芸術の源泉となった富士山の展望景観。
(御師:富士山信仰者の食事や宿泊などの世話や富士山信仰の祈祷・布教をする人)
具体的には以下の25の構成資産があり、北口本宮冨士浅間神社は、1富士山域 の中に入っています。
『富士山域』は、概ね標高1,500m以上の特に重要な地域を資産範囲とするものですが、北口本宮冨士浅間神社は、そのエリアと一体のものとされています。
北口本宮冨士浅間神社の概要
北口本宮冨士浅間神社は、1900年以上の歴史があり、富士山の北口(吉田口)登山道の起点となっています。
主な社殿は、仁和3年(887)より造営されてきています。
現存する中で最も古い社殿は、現本殿の東側に位置する『東宮本殿』です。
これは、貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建したものです。
また、文禄3年(1594)浅野氏重造営の社殿は、『西宮本殿』として現本殿の西側に位置しています。
現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次の創建です。
本殿、東宮本殿、西宮本殿のいずれも国指定重要文化財です。
そのほか、拝殿、神楽殿、手水舎、隨神門、冨士ゑびす、諏訪拝殿など、多くの国指定重要文化財があるほか、日本最大木造鳥居の大鳥居や県指定天然記念物の太郎杉なども見られます。
神社に祭られる木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)は、大変美しい女神であったとされ、次のようなご利益があるとされています。
・子の産み育て(子授け、安産、子育て 等)
・関係を生み出す(縁結び、夫婦円満、良縁 等)
・産業を興し増やす(起業、事業繫栄、養蚕 等)
・モノを生み出す(酒造、芸術 等)
富士山 開山前夜祭
北口本宮冨士浅間神社では毎年、富士山の山開きの前日である6月30日に、富士山 開山前夜祭が行われます。
そこでは、富士講(富士山信仰)の方々などが集まり、吉田口登山道入口の鳥居に張った縄を木槌で断つ、『お道開き』の神事が行われます。
吉田の火祭り
吉田の火祭りは、北口本宮冨士浅間神社とその境内にある諏訪神社による富士山の噴火を鎮めるための鎮火祭です。
400年以上の歴史をもつ富士山の山じまいの祭であり、日本三奇祭のひとつとなっています。
8月26日の夜に、70本あまりの高さ3mの大タイマツが、まちなかで焚き上げられます。
大タイマツに点火されると、富士山の山小屋や、家ごとに井桁で組んだタイマツにも火が焚かれます。
なお、火祭りのタイマツの炎は屋根の高さまで上がり、火の粉が屋根に降りかかることがありますが、それで火事になったことはないと言われています。
また、火祭りは、どんな悪天候でも休んだり、中断してはいけないとされているということです。
これまで400年以上の歴史の中で、中止になったという記録は残っていなかったのですが、令和2年には新型コロナウイルスの感染拡大によって、初めて中止になりました。
以上、北口本宮冨士浅間神社と、その祭り・行事について紹介しました。
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