人が集まる場所を少し避け、日常的で何気ない風景の中に見られる粋な京都の水辺のスポットを取り上げます。
白川の一本橋
京都市東山区の白川には、60cmあまりの幅員で、手すりも何もない一本橋と呼ばれる橋が架かっています。
一見すると、渡ることができるのかどうかも不安になるような橋です。
面白がって渡る人もいるだろうか、といった感じの橋にも見えますが、実際には普通に生活の道として、通勤・通学などに利用されています。
人、ひとり分しか通行する幅がないので、反対方向から人が来ると、橋の手前で渡り切るのを待つことになります。
この橋が、純粋に歩行者動線の一部として存在しているというのが、非常に面白いところです。
この橋の正式な名称は古河町橋です。
しかし、その名称はほとんど知られておらず、通常は一本橋と呼ばれています。
また、一本橋以外にも、行者橋や阿闍梨(あじゃり)橋などと呼ばれることもあります。
行者は修行を行う者のこと、阿闍梨は弟子の規範になる位が高い僧侶のことです。
比叡山延暦寺では、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という行が平安時代から行われてきたとされています。
千日回峰行は7年間にわたり、約1,000日間かけて260ヶ所以上の聖地を徒歩で巡礼するものです。
後半には、9日間にわたり、食べ物も飲物も睡眠もとらず、不動真言を唱えつづける『堂入り』と呼ばれる行もあります。
そして、千日回峰行を達成した行者は、この橋を渡って尊勝院に向かい、それを報告したと言われています。
行者橋、阿闍梨橋という呼び方は、行者が厳しい行を終えた後、最初に渡る橋であったことによるものです。
この一本橋の架かる白川南通付近は、特に観光地ということではなく、普通の街並みがある場所です。
白川には転落防止の柵はなく、川沿いにはシダレヤナギが植栽されており、かつての街の様子が想像されるような雰囲気もあります。
こうした、普通の暮らしの中に、歴史的経緯を持った資源が存在し、利用されているのが、この場所の魅力です。
上賀茂神社 社家町
上賀茂神社は、正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言い、京都でも最古級の神社です。
社家というのは、神主さんなどの神職たちの屋敷であり、上賀茂神社の社家は、江戸時代には270軒あまり存在していたと言われています。
元来、規模の大きな神社の周辺には、社家住宅が並ぶことが多かったのですが、現在では、ほとんど見ることができません。
上賀茂神社の社家町も、規模は小さくなったものの、昔ながらの街並みは残っていることから、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
上賀茂神社の社家町は神社の東側にあり、上賀茂神社から流れ出る明神川沿いに屋敷が連続し、社家町を形成しています。
主屋とこれを囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋等が、独特の歴史的風景となっており、土地利用に変動がないことから、古い街並みが良好な形で残っています。
社家町沿いの明神川にも、転落防止の柵は見られません。
そのため宅地や河川と道とが一体的な空間として感じられます。
それが歴史的な社家町の雰囲気の保全に大きな効果を果たしていると言えます。
以上、京都において良好に保全されている水辺の歴史的風景を取り上げました。
こうした風景が、特別に切り取られて注目されるのではなく、日常的で何気なく、当たり前に利用されていることが、大きな魅力になっています。
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